ポラリス

ポラリス独自の取り組みやサービス、実績についてご紹介しています。

峰晴 亨 様

2016/02/03リアル感動ストーリー

“もう駄目だ―”。この言葉が、頭の中を何度もよぎりました。

順風満帆だった私の人生が一変したのは、あまりに突然の出来事でした。仕事の任期を終えて間もなく、とつぜん自宅で倒れた私はそのまま近くの病院に搬送されました。その後県立病院での手術を終え、目を覚ました私に医師が告げたのは“後縦靭帯骨化症(こうじゅうじんたいこっかしょう)”という進行性の病であるということでした。その瞬間は自分が何を言われているのかさっぱり分からなくてね。でもふと気がつくと、もう私の身体は言うことを聞かなくなっていたのです。病院には3ヶ月ほど入院していましたが、歩行練習をする間もなく退院を
強いられてしまいました。

術後の後遺症は悪化の一途をたどるばかりで椅子に座ろうものなら、全身の骨に向けて何千もの針が突き刺さるような恐ろしい激痛が走りました。手も足も思うように動かない。大好きな絵を描こうとしても、筆を掴むことさえできない…。“もう駄目だ―”につづく言葉が、頭の中を何度も過ぎりました。あれほどの絶望感に襲われた経験は、きっと後にも先にもないものだと思いたいですね。そんな私の様子を見ていた専属のケアマネージャーの方に勧められたのが、ポラリスだったのです。

もう一度、昔のような力強い絵を描きたい。

ポラリスの話を聞いたとき、私は認知症の人たちが通うところだと勘違いしていたので、はじめはお断りするつもりでした。だけどいざ顔を出してみると、それぞれに難病や麻痺を抱えながらもリハビリに取り組んでいる方がたくさんいらっしゃったので、様子を伺いつつ入会してみることにしたのです。それからしばらくすると、ずいぶん今までとは見える景色が変わりはじめました。その想いに引っ張られるかのように、身体がほんの少しずつ動くようになっていることを日増しに実感するようになりました。

ここに来た頃はまだつたい歩きもままならず、手を前に伸ばすのがやっとの状態でしたから、入所時に自分の歩く姿を撮影した映像と3ヶ月後の映像を見比べたときの興奮は、今でも忘れられません。だから次のステップとして「もう一度昔のような力強い絵を描く」という目標を立てることにしたのです。

できなかったことができるようになる不思議な場所です。

その後もパワーリハで継続的に筋力を鍛えつづけたことで、以前は腕が持ち上がらないせいで描けなかった大きなキャンバスにも、今では上の方までしっかりと色づけできるようになりました。斜めがけのバッグだって、もう自分ひとりの力で頭を通すことができます。ポラリスはね、今までできなかったことが知らず知らずのうちにできるようになる不思議な場所です。ここにいるスタッフのみんなが私の体調を見守りながら最適な運動をさせてくれるおかげで、辛いというような気持ちは今までこれっぽっちも感じたことはありません。私はポラリスに出会えて、もう一度明るい未来を取り戻すことができたのです。

 

妻ともう一度大好きなヨーロッパ旅行に行くという夢も叶えたいです。

私はかつて関西にある数々の高等学校や大学で美術の講師をしていました。昭和63年には大阪市立デザイン教育研究所という専門教育機関を開校し、教授を務めた経歴もあります。そして去年7月。77歳の誕生日を迎える記念にと、今までの作品とここに来てから描いた作品を合わせた十数点を展示した個展を開くことにしたのです。この身体になって、まさかもう一度個展を開けるとは思っていなかったものですから、ほんとうに感動しました。絵はこれからもずっと描き続けていきたいと思っています。今取り組んでいるのは、小さな絵はがきを書くこと。これほど小さな紙に絵を描いたことは今までにないから、まだまだ修行中です。あとは、これまでたくさん迷惑をかけた妻ともう一度大好きなヨーロッパ旅行に行くという夢も叶えたいです。

これまでそばに寄り添ってくれた妻には今でも頭が上がりませんからね。私はまだ、もうひと踏ん張りできるんじゃないかと思っています。ここにいる人たちがいてくれる限り、私は残りの人生を明るく前向きに生きていけると信じていますから。




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